革に関する豆知識
皮革の‘歴史’、‘分類法’、‘価値観’の各テーマにそったコラムです。

‘歴史’は人類と皮革との関係、用途、発明等をを年表にそってまとめました。革は金属や宝石類と異なり、人体と同じく土に返ります。その為、文明期以前の遺跡等から出土する事は無く、初期の歴史に関しては未開の方々の技術や、古の文献から推察するに留まります。

‘分類法’は既に天然皮革商品に興味をお持ちの方にはとても参考になると想います。何気なく使っているアイテムでも何某かのカテゴリーに属しています。既にお持ちの商品や、今後の購入予定の参考としてもお使い下さい。

‘価値観’のコラムでは本来の天然皮革の魅力は何処にあるのかをまとめています。多くの日本の方が持つ価値観は世界の価値観とは異なります。今後、天然皮革商品の御愛用を考えられている方は是非一読下さい。

  目  次

皮革の歴史

皮革の分類法
皮革の価値観
□皮革の歴史 >TOP
 始めに  
皮革の歴史をまとめるにあたり、人類の起源に触れる必要があるのですが特に有史以前は多くの説があり又、年代に関しても今なお推定が多く確定していません。主な異説は我々が学んだ、長い時間の中で猿から進化したとの‘進化論’と見えざる管理者(神)により意図的に人類そのものとして創造されたとの‘創造論’が対立しているようです。

どちらの説にせよ、原始の人類は生きる為に皮革の原料である獲物を‘狩’する事は欠かせなかったはずです。正しい歴史を考察するのが目的ではないので、ここでは進化論のある説の年代をベースにまとめました。

 150万年前(始まりは原人とともに)  
現在からさかのぼる事500万年前、アフリカで人類の元となった猿人(アウストラロピテクス)がチンパンジーと系統樹が別れ二足歩行を始めたと言われています。推定脳堆積は500ml程でしたが二足歩行は頭の重さを支えるのに適し、脳が発達していくと共に手が進化していきます。集団での狩が始まりました。

人類が始めて
皮を使用したと推定できる時期は、旧石器時代の250万年前以降となります。進化した種の脳堆積が約1000mlに達するようになり、彼らは石器や火の使用を始めます。

150万年前には原人(ホモ・エレクトス)と呼ばれる種が現れます。彼らは日々の糧を狩猟や漁労、採取で得ていました。獲物の肉を食した後に残る‘皮’も重要な副産物であったことでしょう。


道具を使い始めた原人が最初に身につけたものの一つ、それには皮も含まれていたに違いありません。当時は獲物の皮を身に着けることは強さの象徴であり、危険な狩猟時等における獲物からの身体の‘保護’が主であったと想われます。


皮を加工する原始人

‘皮と革’・・・狩などで得た、動物のから分離したものが‘皮(skin)’。そのままでは湿潤状態では肉と同じく腐食し、乾燥状態では硬く屈曲性、柔軟性がなくなり実用に耐えない為、‘なめし’という作業が必要となる。処理後は腐食せず、柔らかいまま状態が維持でき、この作業を終えたものを‘革(leather)’と言う。
 100-25万年前(氷河期の始まりと皮)  
100万年前の第一氷河期が近くなり気温が下がり始めるとと‘火’と共に皮(革)が持つ‘保温’性も極めて重要になります。第一氷河期を乗り切った人類はさらなる50万年前の第二氷河期をも生き抜きます。

その後、25万年前にはネアンデルタール人が現れます。彼らの脳堆積は約1500mlに達し、我々に極めて近い種へと進化していきました。


 20-10万年前(人類の誕生)
この頃のアフリカで現代人と同種のクロマニョン人と呼ばれるホモ・サピエンス(ファーストマザー)が現れます。厳しい第三氷河期の中でさらなる進化を遂げると共に10万年前頃には快適な地を目指し、アフリカから世界各地へ進出していきます。

彼らはそれぞれの地域で環境に適合する為、現代人に通じる‘人種’へと発展していきます。また知恵を持った人類は各地に適した衣類や生活用品を作る素材としての皮革細工を発展させていったことでしょう。


 3万年前
3万年前から1万2000前に掛けて最後の第四氷河期が訪れます。人類の祖先が4度に渡る氷河期を絶滅することなく乗り切れたのは集団での狩猟による食料の確保はもちろんの事、‘火’を使いこなした事、また大きなもう一つの要因は身体を‘保温’‘保護’でき得る革を利用したことでもあると言えます。


ラスコーの壁画に描かれた獲物達

‘なめし’・・・‘皮’の構成物質は主に蛋白質コラーゲンで出来ており、‘革’として利用するにはそれらの繊維や組織を安定した状態に保つよう、加工する必要がある。現在では‘なめし剤’を付与し安定加工することが一般的。

反面知恵を持ち、増大した人類の糧を得る為の狩猟、漁労は効率を極めます。全ての生物にとって厳しい気候の中、多くの動物を大絶滅へと導き、徐々に食糧不足問題が発生し始めます。

旧石器時代(第四氷河期)のマドレーヌ文化期に生きたクロマニョン人はアルタミラ(スペイン)やラスコー(フランス)の壁画に当時の様々な獲物(動物)を描き残しました。それらの皮を狩猟の副産物として利用したことは容易に推測できますが、皮(革)は土に返りますので当時の実物を見ることは極めて困難です。

また、副産物を当初は‘皮’のまま使っていたでしょうが、何らかの‘
なめし’作業をある時期から工夫し始めた事は間違いありません。多くの個体原皮は‘皮’のままでは寿命が短く実用に耐えないからです。

当初の‘なめし’作業は単純な‘日干し’や‘揉み’だったとの説があります。また火を使うことを覚えた後のある時
期からは、煙での燻し‘なめし’も始めたことでしょう。この皮の性質を変化させ使いやすく加工する‘なめし’作業は最初に人類が意図的に行った化学的な作業であったといえます。

 紀元前10000年(農耕の開始)
紀元前1万年前頃から人類は農耕を開始し、食料を生産、備蓄することを覚え食糧問題を解決します。生活のゆとりは人類の急速な発展をもたらし、後の四大文明や世界各地の文明へと繋がっていきます。

紀元前8000年頃には人類の‘なめし’の技術は煙で燻す作業とともに、動物の脂や脳漿をなめし剤として塗るようになったと言われています。この頃革は衣類のみならず、多くの生活用具へも利用されていったことでしょう。

 紀元前3000年(文明の始まり)
文明が発達すると共に革も実用性のみならず美的要素も取り入れられます。現在世界で最初に発達したと言われるメソポタミア文明圏(現イラク)ではそれらに着色する為、植物の汁を使い始めます。

当時は化学的な理屈が判っていたとは想えませんが、植物に含まれる‘タンニン’が皮をなめすのに最適な作用を持っていたのです。現在も使われている‘
タンニンなめし’の基本的な技術は既にこの頃発明されたのです。

もちろん、当時は植物中の‘タンニン’のみ抽出する知識や技術はなく長い時間を掛けて革へと加工していました。後の時代には細か
タンニンなめし・・・植物や果物、木の汁に含まれる‘タンニン’と皮の蛋白質コラーゲンとを結合させ、安定化させるなめし法。耐磨耗性、可塑性に優れ、現在も使われている。赤ワインやコーヒーの独特の渋みはこの‘タンニン’が原因。古代においては純粋なタンニンのみを抽出する技術はなく、植物や、樹木(皮)と皮とを水に長時間浸してなめしていた。

い効率化はあったでしょうが、より効率的な‘クロムなめし’が発明されるまでは‘なめし’の主流となり四大文明を媒体として世界各地へ伝えられていきます。

最古の革製品(古代エジプト)
BC2000頃の古代エジプト文明の遺跡から現存する最古の革製の履物や小物が出土しています。この頃から、履物の概念が出来、貴族が動物の革やパピルスで作ったサンダルを履き始めました。

また、メソポタミア文明遺跡で発掘された楔形文字の粘土板には商業取引に使用されたものもあり、インダス文明圏へ革製品を輸出した記録が残っています。


 紀元前1000年
一方、アメリカ大陸に目を向けるとBC1000年頃には南米(現ペルー辺り)にアンデス文明が、中米(現メキシコ辺り)にメソアメリカ文明が独自に発祥し革製品も使用します。メソアメリカ文明圏のオルメカ文化期にはジャガーが神として崇められ神官が毛皮を被ったレリーフが残されています。
 紀元前200年
ローマ帝国が地中海世界を支配し、紀元前2世紀にはベルガモン王国も征服します。当時の一般的な筆写材料はエジプトで発明されたパピルスでしたが、敵対関係にあった為、代用品として羊皮紙の使用を推奨します。西洋で普及していくと共に、皮革産業の発展に寄与します。

 紀元1世紀
日本に残る記録上の最古の皮革は大和時代(593-710)に朝廷に献上された‘亜久利加波(あくりかわ)’です。個体は鹿、カモシカ、猪、熊等がありましたが、中でも‘鹿皮’がもっとも愛用された時代でした。その最大の特徴は‘通気性’の良さでしたが、‘しなやかさ’や‘加工性’のよさ、‘耐久性’からも重宝されていたようです。当時は‘なめし’はされておらず、脂のみ取り除いた‘皮’でした。
羊皮紙・・・山羊、羊、牛の薄い皮をなめした筆写材料。ベルガモン王国で発明される。中世に欧州で紙が生産されるまで西洋で主流となる。パピルスより丈夫で柔らかく優れていたが値段は高価であった。
羊皮紙で作られた本

奈良時代(710-794)に入り中国や朝鮮の帰化した革工人(熱皮師)から大陸の‘なめし’技術が伝えられ‘なめし’の概念を持つようなります。伝えられた手法は‘燻なめし’であったようですが、これにより加工に技術がいる硬い‘牛革’や‘馬革’等も使うようになります。それらは衣服や敷物、武具等数多くの革製品の製造を即しました。

また、‘なめし’の概念は様々な工夫も呼び、時代ごとに伝わる大陸からの知識と我が国独自の技術が融合して後に発達する播磨の‘油なめし(白なめし)’や甲府の‘脳漿なめし(甲府印伝)’へと繋がります。
この頃イタリアではフィレンツェを中心としたトスカーナ地方で革製品の製造技術が発達していきます。当時の主な産物は羊皮紙でしたが、それ以外の皮革製品の生産も行われていました。

 8世紀
白なめし革・・姫路市の伝統産業で1000年の歴史を持つなめし方法。川の水に皮を浸け、天然の塩と菜種油で揉んでなめす。仕上がりは美しい白色で、柔らかい反面こしの強さから耐久性もあわせ持つ。昔は野球のボールにも使われ、‘白球’の語源となる。製法に手間がかかる事から高価になり、安価な‘タンニンなめし’や‘クロムなめし’に押され第2次世界大戦前に衰退する。近年自然の原料を使った環境への配慮と世界に類を見ない手法である事から改めて注目を集めている。
日本の大和時代(593-710)、文武天皇の指示により作成された日本で最初の本格的な法律、大宝律令(701年)が施行されます。‘大宝令’中の‘衣服令’の中で、貴族は鳥の皮に漆を塗った、鳥皮履(靴)の着用が義務付けられるようになります。

 9世紀
この頃、交易ルートの中継地として栄えていた、北アフリカのガダメス周辺(現リビア辺り)ではムーア人が仔牛革に柄を刻印するエンボス加工の装飾革を作り始めました。後には銀や金で装飾するようになり江戸時代に流行った金唐革のルーツとなります。この技術は、スペインに伝わりコルドバが後に一大産地となります。

 10世紀
日本の平安時代(794-1185)の律令を補足する法令集、延喜式(927年)で指定された全国の庸・調や交易雑物のリストから当時の日本各地の特産品が推し量れます。中でも皮革産業は広範囲に渡っていたようで、その一部は技術が発展し、播磨の‘白なめし革’等、現在も日本各地で特産品として受け継がれています。

 12-14世紀
鎌倉時代(1185-1321)にはなめし技術はさらに発展をとげ武具の製造に欠かせない物となります。後の南北朝時代(1321-1399)と戦乱期が続き、鎧,冑,馬具,刀剣等には革を使うのが一般的になります。

一方、1200年頃のイタリアのトスカーナ地方では皮革産業がさらに発展を遂げ、‘ボルサーイ’と呼ばれた職人が様々な革製品を製造していました。中でも‘袋物’の需要は大きく、旅行かばんや、荷馬車の荷袋、婦人用の刺繍入ハンドバッグ等、多岐にわたりました。

皮革産業には多くの水を必要とする為川が欠かせませんが、この地域はアルノ川の豊富な水があり、また、タンニンを多く含む栗林もあったことからイタリアの伝統的なタンニンなめしを行うのに最適でした。この産業は現在も引き継がれ、イタリアは世界有数の革産地の一つとなっています。


 15世紀
イベリア半島では1492年にレコンキスタ(キリスト教徒からみたイスラム教徒からの国土回復運動)が完成しスペインの黄金時代となります。コルドバではムーア人の金装飾革(スパニッシュレザー;金唐革)の技術をスペイン人が習得した後、彼らを国外追放します。

追放された職人たちは、欧州各地に散らばり金装飾の革が欧州中に広がっていきその技術が伝えられてきます。


 16世紀
16世紀のポルトガル貿易船模型
16世紀最大の出来事は西洋と東洋との邂逅でした。欧州の大航海時代がインドの香辛料の争奪をきっかけに幕を開けます。彼らの貿易の版図は極東の日本へまでも広がります。日本の公式記録での西洋との最初の出会いは、戦国時代(1480-1590)の最中、1543年種子島に漂着した明(中国)船乗船員の3人のポルトガル人とされています。

貿易を望む彼らは日本産の‘銀’を買い付けるようになり、日本へは生糸や毛織物、絹織物とともに皮革を販売しました。西洋産の皮革がこの時から直接日本に入ってくるようになります。

国産皮革では当時の一大産地の一つが播磨であったことを推察できる記録が‘太閤記’に残っています。豊臣秀吉は1580年に‘播磨の鞣皮(なめしがわ)二百枚’を織田信長に献上しました。当時の播磨では年間2万枚の皮革を生産していたそうです。

一方、西洋の大航海は悲劇をもまねきます。アメリカ大陸においてメソアメリカ文明圏はアステカ王国、アンデス文明圏はインカ帝国がそれぞれに発展し独自の皮革文化をも持っていましたが、共にスペイン人に滅ぼされ植民地化されました。


 17世紀
1603年、徳川家康が天下を統一し江戸時代(1603-1867)に入ると時代が安定していきます。貨幣制度の整備により米経済から貨幣経済に移り、都市に人口が集中すると共に消費者が現れます。物を流通させる商人、物を作る職人が勃興し、流行が生まれます。白なめし革、印伝革、金唐革等の革小物も人気をはくし全国へ流通していきました。

この内、金唐革は輸入品でスペインを追われた革職人がオランダに伝えたものでした。オランダは当時金唐革(スパニッシュレザー)の一大生産地で原皮の生産が間に合わず、フランス等から輸入していたそうです。

一方、フランスではカルバン派プロテスタントの‘ユグノー’と呼ばれる人々約50万人が、ユグノー戦争(1562-1598年)、ルイ14世(1643-1715)の‘ナントの勅令’廃止(1685年)をきっかけに迫害を避け、国外移住を進めます。彼らの多くは皮革産業を含む様々な業種の新興マニファクチュア(工場制手工業)の担い手として従事していた為、その流出はフランスの近代化に停滞を招きます。


彼らの一部はドイツに移住し、東ベルリンでかばん産業をたちあげました。かばん以外にも馬具、武具等の生産を手がけていましたが、後に職人ギルドの規制が緩み始めると、財布や革ケース各種サック類をも生産し始めます。後の質実剛健で有名なドイツ革製品の基礎を築きます。

一方、フランスのルイ14世は国内経済を立て直すため、コルベールを財務長官に任命し、重商主義政策を展開します。その一環として革製品を含む様々な分野の王立マニファクチュア(工場)を設立し国内経済を立て直すことに成功します。

印伝革・・16世紀中頃に印度から伝わった‘脳漿なめし法’の一つ。元は鹿や羊のなめし革であったが、江戸期に和紙と漆で模様を加える技法をあみだし人気をよぶ。軽くて柔らかい仕上がりで、最大の特徴は時間と共に漆がなじみ、色が冴え、独特の風合いがでてくる。現在は甲州(山梨)で技法が受け継がれ、主に鹿革を使い特産品として生産されている。
金唐革・・17世紀中ごろにオランダから輸入された金装飾の革。個体は仔牛が使われ、型押しされたエンボス加工と金装飾が特徴。欧州では壁に張る革として使われていたが日本では裁断され煙草入れや薬籠等の小物、武具などに加工された。当時は国産の技術が無く、東インド会社からの輸入に頼る超高級品の一つでその技術の模倣が研究された。
 18世紀
ミュスカダンとメルヴェイユーズ

他方イギリスでは18世紀後半、産業革命が起こりマニファクチュア(工場制手工業)からより効率的な工場制機械工業に変わります。大量生産が可能になり資本主義経済が芽生え、皮革の生産もより効率的に改善されていきます。

フランスでは18世紀後半にフランス革命が起こり抑圧されていた第三身分(平民)のブルジョワジーが新たな指導者になり彼らの子息や子女達に一種異様ないでたちが流行します。

享楽的な彼らはミュスカダン(ムスク香水の洒落者)やメルヴェイユーズ(伊達女)と呼ばれ、現在のモードを牽引するファッション大国、フランスの元が築かれます。
皮革産業も彼らの好みに追随し、山羊や仔牛、ワニ等の個体を使った、奇抜で格調高い製品が作られます。この傾向はブルジョワジーの支配を確立させたナポレオン(1769-1821)がセント・ヘレナ島へ流刑なった後も続き、ウィーン体制の崩壊を経て、第二共和制(1848年)が始まるまで続きます。

ナポレオン3世が即位し第二帝政(1852年)が始まった2年後、1854年にフランスを代表する、ルイ・ヴィトンがカプシーヌ通りの4番地に世界で最初に旅行かばんのアトリエを開きます。現在はヌメ革使いでも、有名になりましたが当時は革の旅行かばんがもつ、欠点である重さを軽減する為、防水加工を施したコットン素材を使っていました。ナポレオン3世の皇妃ユージェニーに気に入られたことも評判を呼び、欧州中の王族が競って注文するようになりその名声が一気に高まり、現在に至っています。

 19世紀
19世紀始めに欧州の皮革産業において、なめし革の大量生産が可能なドラム等、様々な機械が発明されます。また、なめし用のタンニンエキスの製造も始まり、皮革産業は本格的な近代化を向かえます。

日本では1868年の明治維新後、鎖国政策により取り残されていた世界の技術を積極的に取り入れて生きます。皮革に関しては軍靴等、軍隊需要での重要性から海外のなめし技術者をまねき、国内の伝習所でその技術を習得してきます。日本で始めて西洋式のタンニンなめしを取り入れました。


クロムなめし・・・塩基性クロム塩で皮をなめす方法。歴史は浅いがタンニンなめし革に比べ、伸縮性、柔軟性、耐熱性に優れかつ安価に製造できる為、現在製造されている天然皮革の約90%をしめる。
一方、民間では高価な革の代わりに紙を革に見立てて‘金唐革’風に装飾する方法が試行錯誤されます。擬革紙と呼ばれた製品は欧州でも人気を呼び、当時の大蔵省印刷局の役人まで商品開発をしていました。この成功は、後の人工皮革開発のルーツといえるかも判りません。

特筆すべきは、19世紀後半にある種のクロム化合物が皮のなめしに有効であることが発見され‘クロムなめし’の研究が始まります。当初は重クロム塩酸と塩酸による二浴法でしたが、後により効率的な塩基性クロム塩溶液による一浴法が発明され、その技術が確立されます。
 20-21世紀
1960年代に入ると、クロムなめし用の塩基性クロム塩の粉末も販売されるようになり、なめしの主流がタンニンなめしからより安価なクロムなめしへと移っていきます。

1964年には、アメリカのデュポン社が世界で始めて人工皮革‘コルファム’を販売します。一年後には日本のクラレが‘クラリーノ’を販売し、安価で手入れのいらない‘革風’のアイテムが作られるようになります。人工皮革の出現は、天然皮革産業に打撃を与え、その淘汰が進むことになります。

現在の世界の主要なタンナー(原皮を革になめす工場)は品質においては、ドイツ、イタリア、フランス、価格においては中国、韓国が牽引しています。その他イギリス、オーストリア、スペインでも生産されていますが、日本においては輸出もしている豚革(ピッグスキン)以外は、輸入に頼っています。但し、人工皮革の分野においては日本が世界をリードしてます。

 まとめ
皮革は人類とのかかわりがあまりに深く、原始から世界各地で一般的に生産され使用されてきました。有史後においても職人的な手法に依存するタンナーの守秘性もあり、記録がなく途絶えた手法もあったことでしょう。この事は逆にロマンを掻き立てられました。現在の皮革産業、とくに元となるタンナーは公害問題を含め、商業上厳しい環境にあるようです。多くのタンナーは独自のノウハウを持ち、全く同じ原皮を使用してもその仕上がりは異なります。天然皮革製品の製作において、素材の選択肢を与えるタンナーの存在は欠かせませんので頑張って頂きたいものです。

□皮革の分類法 >TOP
皮革の分類法は大きく2つに分けられます。
原皮個体に依存する分類法・・・・個体種別、個体の成長段階
製造法に依存する分類法・・・・・・なめし法、乾燥法、仕上(加工)法
個体種別に関しては、‘使用皮革の種類と詳細’ページでサンプルと共に紹介していますので参照下さい。またなめし法に関しては‘□皮革の歴史’の章の各トピック欄に記載しました。現在、‘クロムなめし’と‘タンニンなめし’が主流ですが、両方の特徴を生かした‘クロム、タンニン混合なめし’も利用されています。

ここでは、上記を除き‘個体の成長段階’と‘仕上(加工)法’に関する分類を御紹介したいと思います。
 ‘個体の成長段階’による分類
この分類法を取られる固体は、流通量が多くかつ市場価格の決定に重要であるものに限られます。同一種の中で皮革専用に養殖された個体と食用個体の副産物が混合した原皮が対象です。
個体分類 成長過程による分類名 説       明
牛 革
ハラコ (産前牛革)
産まれる前。他の革は概ね原皮の段階で毛は抜かれているが、ハラコの場合は毛並みの美しさが特徴でそれを生かしたバッグや小物等のアイテムに使われる。大変貴重な超高級牛革。
カーフスキン (仔牛革)
生後6ヶ月以内。繊維構造、キメが細かく動物としてのキズも無い。銀面(革表面)が最も優れた最高級牛革。革面積が小さいので小型ハンドバック1つ程しか作れない。
キップスキン (中牛革)
生後6ヶ月〜2年以内。カーフスキンより銀面が粗く厚みがある。革面積はカーフの1.5〜2倍あり効率的に商品化できる高級皮革。
カウハイド (成牛革)
生後2年前後でかつ出産後の牝牛革。乳牛の副産物で丈夫で厚い質感が特徴の中級革。未出産の牝牛は若干値段が高く‘カルビン’と呼ばれる。
ステアハイド (成牛革)
生後3〜6ヶ月以内でかつ去勢した牡牛革。2年以上たった後に原皮と精肉となり牝牛と牡牛の中間の質感を持つ。最もよく使われる量産用の牛革。
ブルハイド (成牛革)
生後3年以上の繁殖用の牝牛の革。最も丈夫で粗い質感を持ち、耐久性が求められる靴の革底等に加工される。
山羊革
キッド (仔山羊革)
きめが細かくデリケートな革。特徴的な風合いを持つ質感。
ゴート (成山羊革)
羊革より銀面の組織密度が高く丈夫で硬い。ごつごつした独特の質感で毛穴模様が特徴。
羊 革
ラム(ナッパ) (仔羊革)
生後2ヶ月前後の乳歯の段階の仔羊革。とても柔らかく繊細な銀面が特徴。
シープ(ヤンピ) (成羊革)
永久歯が生えそろった成羊革。質によりヘアシープ(上質)、ウールシープ(中質)に分けられる。とても柔らかい。

 ‘仕上(加工)法’による分類
近年様々な仕上げ法が研究され、それぞれのブランドが商品イメージに合わせて選択しています。ナイロン製の人工皮革とは別に、天然皮革をより高級な別の個体風に仕上げたものも広義では人工皮革と言えます。それらがどのように加工されているか興味があられる方もご覧下さい。
仕上(加工)法 詳          細
銀つき革 銀面(革の表面、個体の肌部)をそのまま生かして仕上げた革の総称。原皮から選別された動物傷の無い良質なものから作られる。革質が最も美しく、耐久性、艶も抜群。

※あまり知られていませんが、成牛革のような分厚い革は2−3枚にスライスされて銀面以外も使用されます
 (‘床革’参照)。
床 革 銀つき革を取り除いた後の革で2枚目は‘一番床革’、3枚目は‘二番床革’と呼ばれる。原床革の表面は粗いので、主に加工革(型押し革、スエード、ベロア、エナメル革、等)の材料となる。
型押し革 高圧プレス機で革の表面に様々なエンボス加工を施した仕上法。模様によって様々なイメージを表現でき、材料の革を選ばず加工できる。近年のファッション・アイテムには欠かせない手法で、一般的なリザード調から、ワニ調やオーストリッチ調まで多岐にわたる。
揉み革 革を揉むことによりしわ(しぼ)模様をつける仕上法。もみ方により、色々なしわが表現でき型押し革とは違った風合いをだせる。有名なのはエルク(大鹿)調。
シュリンクレザー なめし工程時に薬品で銀面を縮ませることにより、しわ(しぼ)模様をつける仕上法。揉み革よりも強いしわ模様を表現できる。
スエード 革の裏面や‘床革’の表面をサンドペーパーで起毛させる仕上法。ベルベット調の毛足が短く柔らかいものが高級とされ、豚革、キッド(仔山羊革)、カーフ(仔牛革)等の小動物が主に使われる。
シルキー カーフ(仔牛革)で作られたスエードの中の最上質なものを‘シルキー’と呼び区別することがある。
ベロア ‘床革’の表面をサンドペーパーで起毛させる仕上法。成牛革の‘床革’が使われ、スエードより毛足が長く、粗い仕上がりとなる。
銀磨り革 革の銀面をサンドペーパーで削り取り起毛仕上した革の総称で、バックスキン、ヌバックがこの手法となる。スエード、シルキー、ベロアは裏面起毛に対し、バックスキン、ヌバックは銀面起毛。
バックスキン 鹿革の銀面をサンドペーパーで削り、起毛させる仕上法。仕上がりはビロード調になり、近年広義では同様の風合いを出した牛革や羊革も含まれる。
ヌバック 牛革の銀面をサンドペーパーで削り、起毛させる仕上法。バックスキンより目の細かいペーパーを使う為、短い毛足のベルベット調の仕上がりとなる。
エナメル革 クロムなめし革の表面に合成樹脂や油脂を厚く塗りピカピカにした仕上法。色の自由度が高くカラフルな仕上がりになる為、多くのブランドで採用されている。アメリカでパテントが取られた為、パテントレザーとも呼ばれる。
ガラス張り革 成牛革をガラス板やホーロー板に張り付け、乾いた後サンドペーパーで銀面を磨き、合成樹脂を塗布して仕上げる方法。硬くてメンテナンスが容易な事から主に靴や鞄、ベルトに使われる。
顔料革 革の表面に顔料を塗って着色する仕上た革の総称。銀面の傷を隠し均一に着色できることから広く使われている。透明ラッカーに貝の粉や魚粉を混ぜて仕上げるとパール状になる。
ヌメ革 ‘タンニンいぶし’のみの自然の風合いを残した仕上法。経年変化で飴色に変色し、深い味わいが出てくる。水分が付着すると染みになるのが欠点。ルイ・ヴィトンが採用したことで有名になる。
セーム革 鹿や羊の皮を油でなめし、スエード状に仕上た革。現在人口では作れない組織密度の高さが特徴で静電気を除去することから、主に貴金属やレンズを磨く為のメンテナンス用品として利用される。
モロッコ革 山羊革をタンニンなめしで仕上た革をモロッコ革と言うことがある。銀面が粒状に細かく仕上がり、本の表紙や小物に使われる。モロッコでムーア人が始めた伝統産業で現在も特産品として作られている。

□皮革の価値観 >TOP
此処までお読み頂いている方は既に天然皮革に多くの魅力を感じられている方かと想います。その最大の特徴をまとめると不均一性と言えます。人に例えると‘個性’でしょうか。

多くのメジャーなブランドもかつては天然皮革の特徴を生かしたアイテムを生産していたのですが、最近は少し傾向が変わってきたように感じます。むしろ、わざわざ‘個性’をつぶしたアイテムが主流となっていることにお気づきでしょうか。実のところ、その原因は私たち日本人の趣向の影響が大きいのです。

仕入等で海外のブランドショップの‘Seller’と話をすると、日本人の多くは少しの‘しわ(しぼ、とら)’や‘キズ(動物傷)’、‘色ムラ’があると商品の交換を求めるそうです。しかしながら、日本人以外の方はこれらを持つ部分を使った商品は寧ろ‘貴重’な個性として好まれ、喜ばれるのが通常なので、彼らはとても不思議に感じるそうです。

今でも彼らは、日本の直営店向けには‘交換のリスク’を回避する為、‘貴重品’以外を選別して発送するそうです。逆に考えると、日本ではそれらの‘貴重品’を手に入れることは極めて困難だと言えるでしょう。彼らの売上げの6割近くを占めるようになった日本向けにわざわざ選別するよりも、最初から選別の必要のないアイテムを開発したほうが手っ取り早いとなっていったのも判らなくはないです。

さて、売上げ自体は彼らの多くに貢献している日本ですが、その趣向がずれていることはお気づき頂けたと想います。例えばエナメル革のような表面がペイントの天然皮革は、昔の日本の‘擬革紙’のように中身は‘革’でなくてもいいわけなんです。あるいは、‘しわ’や‘キズ’等の全くない人工皮革で十分だと思うのは私だけでしょうか。

折角の自然の恵みである天然皮革はそのものでしか出せない商品へと使うべきだと私は思うのです。しかしながら、反面、最近は横並びの傾向が少し改善され、個性を重視される方が増えてこられたように感じています。そのような方に可愛がって頂ける様な商品をご提供していけるように頑張りたいと想います。

今の段階では、過渡期と考えて極端な個性を持つ天然皮革素材は使っていませんが時と共にとても‘貴重’な‘あたり’のある皮革素材も使っていけたらいいと密かに考えています。

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